熊野市の滝(11)


観音滝

松阪から国道42号線を南下して熊野市飛鳥町に入り、右折して国道309号線を進む。観音滝
「不動橋」の手前の路肩に車を停め、橋を渡ったところで右に曲がり、谷沿いの細い道を登る。
石の階段を上がって山道に入り、少し歩くと「秘境観音滝登山口」と書かれた木の看板を見付けた。
良く整備された登山道である。
途中谷を渡って左岸(谷の右)に移り、しばらく歩くと落差5mほどの美しいナメ滝があった。
滝の上部の傾斜が緩くなったところに、人の足型のようなものが彫られている。観音滝
どうやらナメ床の上を歩いて右岸へ渡れ、ということらしい。
余りの過剰整備振りに、「何が秘境だ」と思わず苦笑いが漏れる。
ところがナメ滝の上を歩いて対岸に移ったところで道は唐突に無くなってしう。
そこから先はひどい藪コギ、谷歩きを強いられることになった。
登山口から1時間ほど、藪コギにもいい加減ううんざりし、引き返しかけたところで谷から大分離れたところに石組があるのを発見した。
石組のところまで登り、観音滝遊歩道といっても良い程整備された登山道を20分ほど進むと、巨大なナメ滝が見えた。
落差50mの観音滝である。
下部はなだらかな斜瀑になっているが、上部の傾斜はほとんど垂直に近くなっており、激しい水しぶきが上がっている。
滝の近くの祠には、金色の十一面観世音菩薩が祭られていた。
修験道の本尊というと不動明王が一般的だが、ここ熊野市では観世音菩薩を祭ることも多い。
熊野には、かつて平安時代の武将・坂上田村麻呂公がこの地に鬼退治にやって来たという伝説があるのだが、彼が厚く信仰していたのが、この観世音菩薩であったと聞く。
武勇比類無きと言われた田村麻呂公にあやかるべく、ここの修験者達は観世音菩薩を信仰したようである。
祠の前の風化した石灯籠には「安政」の文字が読み取れた。
安政年間といえば西暦1854年から1859年であるから、この石灯籠が奉献されたのは今から150年ほど前のことであろう。


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